アイディアの種を育て宇宙船をつくる
長福 紳太郎
2010年入社
工学研究科 航空宇宙工学専攻修了
チーフエンジニア室エンジニアリンググループ
REASON入構の理由
宇宙へ続く道を選び続けて
幼稚園に通っていた頃に書いた将来の夢は「体操で金メダルを取ったあとに宇宙飛行士になって、宇宙遊泳をする」でした。なんとも欲張りな夢です。体操で金メダルを取る夢は途中で終わってしまいましたが、宇宙遊泳には今もずっと憧れています。
進路の分岐点では、いつも宇宙に繋がっていそうな道を選んできました。大学は航空宇宙工学を学びました。就職活動ではJAXAと宇宙機を開発している民間企業に応募しましたが、先に結果が出た民間企業は残念ながら不採用。宇宙一筋で生きてきたのに、宇宙への道はここで途切れてしまうのか。絶望の淵に立っているような気分になりましたが、JAXAから採用の連絡をいただいたとき、ホッとしました。
WORKわたしの仕事
種子島で知ったロケットの魅力
宇宙遊泳への憧れがあったので、最初の配属は国際宇宙ステーション(ISS)や宇宙船補給機「こうのとり」の運用に携われる有人宇宙技術部門を希望しました。ところが、配属されたのは種子島センターの打上げに関連する設備や施設の管理を行う部署でした。
希望は叶いませんでしたが、種子島でロケットの打上げを間近で見ているうちに、底知れないロケット開発の魅力にハマっていきました。ロケットの仕事は衛星を所定の軌道に運ぶことです。物づくりの世界では珍しく、ミッションの成否がはっきりとわかります。しかも、長い月日をかけてつくり上げるにもかかわらず、ロケットは打ち上げられると軌道投入まではわずか15分程度しかかかりません。そして成功すればみんなで歓声を上げて喜び合います。まるでアトラクションのようなドキドキ感と興奮が味わえるのです。しかしそれも数をこなすにつれ、物足りなさを感じるようになってきました。ロケットを自分で開発したい、開発した人間として打上げに携わりたい、という思いがありました。
その後、ロケットの研究開発を行う部署に異動になり、ちょうどイプシロンロケット初号機の打上げ準備を内之浦で始めるタイミングだったため、今度はプロジェクトの一員として現場入りしました。その打上げで、同僚が涙を流して成功を喜んでいたときも、開発に初期段階から参加できなかったことをエンジニアとして悔しく思う気持ちのほうが強く、手放しでは喜べませんでした。H3ロケットの開発には、念願が叶って初期から参加することができ、打上げが成功したときの喜びはひとしおでした。もちろん宇宙遊泳の夢もまだ終わっていません。宇宙に行くなら、日本が主体となって開発した「日の丸宇宙船」がいいと思うようになり、私もエンジニアとして貢献したいと思っています。
ロケットの研究開発に携わるうちに、どうすれば画期的なミッションを生み出すことができるのか関心を持ち、研修制度を利用してデザインコンサルティング会社に派遣していただきデザイン思考を学びました。さらに長期派遣研修制度を利用してNASAのエイムズ研究センターのミッションデザインセンターに派遣していただき、ミッションのコンセプトの種からプロジェクト化できる段階にまで仕上げていく方法を学びました。
社外での研修を経て、現在はチーフエンジニア室(通称CE室)エンジニアリンググループで、JAXA内の様々なプロジェクトが効率よく確実に行われるような支援や人材・組織開発を行っています。たとえば、あるプロジェクトでの学びをほかのプロジェクトにも共有したり、プロジェクトマネジメントとシステムズエンジニアリングなどの研修を主催したりして、JAXA内のプロジェクトの進め方や立ち上げ方をアップデートしています。
FUTURE将来の想い
夢は「日の丸宇宙船」の打上げ
目下の目標は、CE室の立場を活用し、民間企業も含めたオールジャパンにおける宇宙開発・事業基盤の強化を図ること、そしてそれに必要なカルチャーと能力の醸成に貢献することです。NASAでの研修を通じて、アメリカが宇宙開発にかける予算規模の大きさを感じましたが、日本にも世界に負けないくらい優秀な研究者や技術者がいることにも気が付きました。無意識のうちにマイナスに考えてしまう癖を取り払って、誰もが自信を持てるようなポジティブなマインドセットを上手く根付かせていくことができれば、日の丸宇宙船の開発だって夢ではないでしょう。
JAXAはあちらこちらにチャレンジ転がっている場所です。ぜひ一緒に日本の宇宙開発を盛り上げていきましょう!
CAREER PATHキャリアパス
入構してからこれまでのキャリア
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1st year
宇宙輸送ミッション本部 鹿児島宇宙センター射場技術開発室に配属
種子島宇宙センター内の施設や設備の維持・管理を担当した。1年目から数百億円規模の予算管理に携わることができたのはいい経験となった。ロケット関係者と身近に接するうちに、ロケットの魅力を知った。
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4th year
宇宙輸送ミッション本部 宇宙輸送系要素技術研究開発センターに配属
筑波宇宙センターに異動になり、ロケットの構造と機構の研究を行った。イプシロンロケット初号機の射場整備作業にも従事。
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6th year
研究開発部門第四研究ユニットに配属
H3ロケットの固体ロケットブースター「SRB-3」の分離システムや再突入機のインハウス開発などを行った。開発に携わるうちに、ミッションをゼロから生み出す方法論に関心を持った。
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12th year
IDEO社に派遣
職員を他社に派遣して人材育成を図る「宇宙ビジネス共創・越境プログラム」制度を利用して、世界中に拠点を構えるデザインコンサルティング会社IDEOに派遣。東京拠点にて未来の宇宙旅行のデザインを行い、デザイン思考を学びながらその成果を「THE FUTURE OF SPACE TRAVEL(宇宙旅行の未来)」としてウェブサイトの形で公開した。
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14th year
NASAエイムズ研究所 ミッションデザインセンターに派遣
長期派遣研修制度を利用して、1年間エイムズ研究所に勤務した。ミッションデザインセンターは、新しいミッションのアイディアの種をどうすれば実現させられるのかを検討して成熟させることに特化した組織。ジェイムズウェッブ宇宙望遠鏡を大幅に超える50m級の超大型望遠鏡をはじめ、5つのミッションのコンセプトのシステム検討や技術課題の洗い出しなどを担当した。
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15th year
チーフエンジニア室 エンジニアリンググループに配属(現職)
JAXAのプロジェクト成功を支えるため、プロジェクトマネジメントやシステムズエンジニアリングという技術領域を担当している。IDEOやNASAで学んだことを活かし、意義価値高く面白いミッションが日本からもっとたくさん生まれるような世界を目指して活動中。
THE OTHER SIDE OF THE MOON私の一面
自分で手を動かすことが好きで、理想主義。「こんなのあったらいいな」と思ったものが巷になかったら、DIYで作ります。自宅マンションには、雲梯が2台に肋木・ボルダリングウォールなど、子供たち(と自分)のために作ったDIY遊具がたくさん。最近の悩みは、子供たちが永遠に生み出し続ける作品たちの整理。